ミュージカル『サンセット大通り』感想|妄執の女を観に行ったはずが

舞台のカーテンとオペラグラスを描いた水彩画風のイラスト 観劇

7月中旬、渋谷の東急シアターオーブで、ミュージカル『サンセット大通り』を観てきました。英語上演・日本語字幕付きの来日公演です。

過去に取り憑かれた大女優の、底なしの妄執。前評判からそんなものを想像して席に着いたのですが、舞台の上にいたのは、少し違うものでした。夢見がちな16歳の少女が、そのまま年を重ねてしまった人。はじめは戸惑い、観ているうちに、これはこれで筋が通っていると思えてくる。その見方が腑に落ちた場面については、後ほど書きます。

この記事では、物語の結末には触れません。終盤の場面に踏み込む感想だけを、後半の「幕が下りてからの話」に畳んであります。

公演情報

原作は、1950年公開のビリー・ワイルダー監督の映画『サンセット大通り』。忘れられた無声映画の大女優ノーマ・デズモンドと、彼女の豪邸へ迷い込んだ売れない脚本家の物語です。1993年にロイド=ウェバーの手でミュージカルとなり、トニー賞7部門を受賞。日本でも日本語版が上演されてきましたが、今回は来日カンパニーによる英語上演の特別公演です。

主演のサラ・ブライトマンは、『オペラ座の怪人』初演のクリスティーヌ役で知られる人。私が知っているのは、映画版のクリスティーヌだけです。演じる人も歌声も違うと知りつつ、その役の面影をぼんやり重ねながら幕を待ちました。原作の映画は未見、予習もなしの観劇です。

あらすじ(結末には触れません)

舞台はハリウッド。借金取りに追われる脚本家のジョーは、逃げ込んだ古い豪邸で、かつての大スター、ノーマ・デズモンドに出会います。

ノーマは、自らの復帰作になると信じる脚本を抱えていました。ジョーが脚本家だと知ると、その手直しを依頼します。断り切れないまま屋敷に留まったジョーと、いまも過去の栄光の中に住むノーマ。2人の奇妙な同居は、少しずつ抜き差しならないものになっていきます。

暗転、そして2発

開演前、緞帳には女性の両目だけが白黒の映像で映り、大きく瞬きをして客席を見据えていました。正直、怖い。やがてオーケストラの音合わせが客席まで届き、これから始まるものへ耳が整えられていく。そして、暗転。

闇の中で、発砲音が2発。撃たれた、どうしてこうなったのか——男の声が、自らの死を語り始めます。物語がどこへ行き着くのかは、幕が開いて数分で明かされてしまうのです。これを結末の先出しだと残念に思う方もいるかもしれません。それでも、暗闇で不意に鳴る2発には、ただ驚かされました。

白黒映画の中に建つ屋敷

男が語り出すと、場面は時を巻き戻します。撮影所や街を経て、借金取りから逃げるジョーの車が、紗幕に白黒の映像で映し出される。黒い紗幕の裾は大きなレースで縁取られていて、古風で、どこか愛らしい。その紗幕がすっと開いて奥から現れるのが、あの灰色の屋敷です。ベールを1枚剥がした先を覗いてしまったような心地でした。

屋敷は、壁も階段も長椅子も、ほとんど灰色一色です。人が動かなければ、そのまま古い映画の1場面に見えるほど。ノーマは白黒映画を懐かしんでいるのではなく、屋敷ごと、いまもその映画の中に住んでいる。そんな美術の主張に見えました。

置いていかない工夫

生演奏の恩恵は、幕が上がる前から始まっています。先の音合わせもそうですが、第2幕の冒頭には、第1幕の旋律を辿る少し長めの序曲が置かれていました。休憩を挟んで散った記憶を拾い集め、すんなりと物語へ戻してくれます。

字幕は舞台の両脇に縦書き。一度に出す文字を絞って大きく見せる作りで、ちらちら目をやりながらでも芝居を追えました。生演奏といい字幕といい、英語上演でも物語を追いやすくする配慮が行き届いています。ありがたいことです。

16歳の少女、ノーマ・デズモンド

姿を見せた瞬間、客席が大きな拍手で迎えました。贔屓役者の登場を迎える、歌舞伎の客席のようです。

登場の歌の最初の1節。想像していた澄んだ声の面影を探す間もなく、波のようなビブラートと圧倒的な声量が押し寄せてきました。専門的なことは分かりません。それでも、声の揺れ幅が驚くほど均一で、細部まで制御された歌い方だということは伝わってきます。その精密な揺れが、かえってノーマという女性の足元だけを不安定に見せる。何かに陶酔したようなその声だけで、この人はすでに尋常ではないと分かりました。

冒頭に書いた答え合わせは、ノーマが古巣の撮影所を訪ねる場面で訪れました。ここではシアターオーブの客席照明までもが演出の一部になる仕掛けがあり、作り手の遊び心に頬が緩みます。

光を向けられたノーマは、眩しそうに目を細める。舞台の中央に立つ。すぐに椅子へ戻る。あの場所に立ち慣れているはずなのに、と歌う。この細かな行き来を見て、腑に落ちました。過去にしがみつく老女というより、夢を諦める時を逃してしまった16歳の少女なのだ、と。

彼女を覚えている古株の職人たちが温かく迎える場面も忘れがたい。その優しさは、彼女の栄光がすべて偽物ではなかった証しです。ただその温かさこそが、彼女に何かを勘違いさせてしまうのでしょうが。

余談を1つ。劇中でノーマは、サロメの「七つのヴェールの踊り」を披露します。私は新約聖書のサロメが好きなので、ノーマがこの踊りをどう見せるのか、少し期待して見ていました。ところが、目の前の踊りはどうにも様子がおかしい。なぜか私の頭には駝鳥が浮かび、笑ってよい場面なのか迷いました。ただ振り返れば、あれはジョーが彼女の脚本を読んで頭を抱えた理由を、台本を1ページも見せずに客席にも納得させる場面だったのでしょう。

ノーマを囲む声

脇も揃った公演でした。ジョー役のティム・ドラクスルは、ノーマの揺れるビブラートと対照的な真っ直ぐな歌声で、やさぐれともがきの両面を見せ、表題曲では生のオーケストラの厚みにまるで負けません。低音でどっしり支えるマックス役のマイケル・コーミック。高く硬質なのに耳に痛くない、ベティ役のメアリー・マッコリー。この三者三様の声が揃うことで、2時間40分の舞台に厚みが生まれていました。

世界的な歌姫の公演でありながら、サラ・ブライトマン1人を眺めるだけの舞台にはなっていません。

以下、終盤の場面に踏み込む感想は畳んでおきます。

幕が下りてからの話

まずは、ジョーの話から。台詞で一番背筋が冷えたのは、第1幕の終わり近く。2人の心が初めて通じ合ったことになった瞬間の、ダーリン、という一言でした。甘いはずの一言なのに、あの瞬間から、ジョーは屋敷に縛り付けられていきます。

だからこそ、終盤のあの場面が効くのです。ベティを突き放したジョーは、取り乱して、電話台の上のものを床へ払い落とします。その台は、小さな写真立てが並ぶ、過去の栄光の祭壇のような場所でした。ダーリンから始まった束縛を、彼はあの祭壇を崩すことで断ち切ろうとしたように見えました。払い落とされた写真立ての中に誰がいたのか、客席から確かめる術はありませんでしたが。

そして、マックスの話です。最後の歌の中で、ノーマには、ほんの一瞬だけ正気が覗きます。すべてが分からなくなってしまえば、彼女は夢の中で生きていける。けれど時折、現実へ戻ってしまう瞬間がある。その一瞬を、誰よりも近くで見ていたはずの人がいます。ところが最後の場面でマックスが取るのは、執事の振る舞いでも、元夫の振る舞いでもありません。女優ノーマ・デズモンドを導く、映画監督の振る舞いです。正気の覗いたあの一瞬にも、彼は監督の目を外さなかったように見えました。内心までは、窺いようもありませんが。

彼はきっと、ノーマという女性だけでなく、彼女の中の女優をこそ愛していたのでしょう。音声付きの映画が台頭した頃から共に暮らし、ジョーの前でも、落ち目や引退を匂わせる言葉を最後まで口にしなかった人。長く夫として、執事として支えてきたのに、最後は他人行儀な呼び方をされる。その胸の内が、いまも少し尾を引いています。

ノーマを観に来たはずが、幕が下りても目に焼き付いていたのは、この男の立ち姿でした。

おわりに・こんな人におすすめ

意外かもしれませんが、ミュージカルを観慣れていない方にも入りやすい作品です。序盤は台詞に近い歌い方が多く、「なぜこの人たちは歌うのか」という段差をあまり感じさせません。物語が進むにつれて合唱が増え、耳も少しずつ舞台の文法に慣れていく。場面転換では、歌っていない群衆までが合唱の身振りで動いて、目を楽しませてくれました。

予習なしで席に着いても、最初の暗転に響く2発とジョーの台詞で行く末を先に見せてくれるため、物語に置いていかれる心配はありません。

チケットは良い値段がしますが、生のオーケストラ、家ごと白黒の舞台美術、来日カンパニーの歌声をまとめて味わえる公演です。当日券の販売もあるようですので、残席の最新情報は公式サイトでご確認ください。

カーテンコールでは、方々から口笛まじりの歓声が飛んでいました。30年ぶりにミュージカルの舞台へ戻った歌姫を観られるのは、この夏、8月1日までです。

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