スーパー歌舞伎『もののけ姫』感想|シシ神は、連獅子の毛をまとっていた

舞台の緞帳と隈取の筆を描いた水彩画風のイラスト 観劇

新橋演舞場でかかっていたスーパー歌舞伎『もののけ姫』を、8月のはじめ、夜の部で観てきました。玄関には「満員御礼」の赤札が出ていました。

新橋演舞場の正面と満員御礼の赤札

歌舞伎の客席に座るのは、しばらくぶりでした。

券を買ったときから気にしていたのは一つだけで、あの絵をどうやって舞台に載せるのか、ということでした。

2.5次元の舞台は、原作の絵に近づけようとします。髪の色も衣裳の線も、できるだけそのまま持ってくる。忠実であることが誠実さの形になっています。

歌舞伎は逆の方へ行きました。原作の絵から離れて、歌舞伎の型のほうへ寄せる。それでいて、確かにあの人物だと納得させてしまう。しかも使われているのは新しく作った仕掛けではなく、歌舞伎が前から持っていたものでした。

この記事の前半では、筋については映画で広く知られている範囲までにとどめます。この舞台ならではの結末は、後半の「幕が下りてからの話」に畳んであります。

公演の記録

オペラグラスとイヤホンガイドとパンフレット

筋は映画とおおむね同じです。祟り神に傷を負ったアシタカが、呪いを解く道を探して西へ向かい、鉄を作るタタラ場と、山犬に育てられた娘サンの森に行き着きます。

どこから出てくるかで、正体が知れる

花道の途中に、スッポンと呼ばれる小さなせりがあります。床が迫り上がって、そこから役者が現れる仕掛けです。歌舞伎でこの穴から出てくるのは、人ならざるものです。幽霊、妖狐、神のたぐい。そういう約束事になっています。

この舞台でも、この穴がたびたび使われます。誰が何者かを台詞で説明せず、出てくる場所だけで片づけている。置き換えというのは、こういうことでした。

その毛は、連獅子のものでした

鹿のような角に人のような顔、という映画の造形を、舞台がどう出すのか。

現れたのは、長い毛を垂らした頭でした。額を出した総髪が背まで落ち、もみあげも長く垂れている。連獅子の毛です。

角と毛の色は、連獅子にはないものです。細い角が幾本も放射状に立ち、毛は根元から毛先へ行くほど色が濃くなっています。

連獅子は、長い毛を振り回す毛振りで知られる舞踊です。ただ、獅子の精が現れた直後はまだ獣そのものの動きで、そこからしだいに滑らかになっていきます。

獅子は霊獣で、その毛が、森の神の頭になっている。知っている人には一目で分かりますし、知らなくても、神の頭に見えるはずです。

型に入っているのは頭だけではありません。シシ神は、神さびた大きさで立っているのに、体は小刻みに動き、動きの一部だけが急に速くなる。連獅子で、獅子の精になりきる前にしている動きです。頭も体も連獅子の型のなかにあって、それで神をやっている。

幼さの出どころは、二人で違いました

中村壱太郎のサンは、幼く仕上げてあります。声が高い。台詞は短く切って並べられ、抑揚がほとんどつきません。歌舞伎の子役は、高いところで一本調子に語ることで幼さを出します。あれに近いものを聞きました。

市川團子のアシタカは、顔立ちがまだ少年です。映画のアシタカよりも、ずっと無垢に見えました。こちらは作り込んだというより、そのままの顔で立っているように見えます。

型で作った幼さと、もとの顔の幼さが、並んで立っている。

サンの体、エボシの太刀

タタラ場に忍び込んだサンと、エボシ御前が斬り合います。

サンの得物は短い刀で、獣の骨のようにも見えました。裾から足が出て、床を蹴る。腰に垂れた細い布が、跳ねるたびに遅れて動きます。歌舞伎の女方は自分で歩きさえしないもの、くらいに思っていました。

エボシ御前は日本刀です。太刀筋は剣舞に近い。凛としたものが、そのまま動きの形になっています。

二人は互角のまま終わりません。アシタカが割って入ります。両腕を左右へ広げて、得物を持った二人をそのまま押さえ込む。三人が組み合ったまま止まり、アシタカが見得を切ります。右腕の呪いが力を出しているからだそうです。決着をつけないまま、第三者が入って納める。歌舞伎ではよく見る収まり方です。

サンにはもう一つ、体で見せる場があります。乙事主を前にしての海老反りです。片手をかざして、体を後ろへ大きく反らす型で、相手の威力に圧倒される様子を形にしたもの。背中が柔らかいと、逆さのUの字になって、頭のてっぺんが真下を向きます。

跳ね回っていた娘の背が、ここで女方のものになります。

引っ込みで見せる

六方は、手足を大きく振って歩き方そのものを見せる型で、花道の引っ込みに使われます。なかでも飛び六方は、片手を振り、足を踏み鳴らして走ってゆく様子を表すものです。私の記憶にある飛び六方は、どれも体格のよい立役のものです。一歩ごとに床が鳴り、重さそのもので押してゆきます。

この舞台には、女方の六方があります。床は同じように鳴っていました。ただ、その音が軽い。跳ねる高さも腕の振りも、置いてくる重量が違います。それで勇ましさが減るかというと、まったく減りません。押し切るのではなく、速さで通していきます。

手で描かれた森

開演前から、舞台には森の絵が下りています。大きな幕に、暗い木立が奥まで描かれている。印刷でも映像でもなく、手で描いたものだそうです。

森を出す手はいくらでもあるなかで、描いた布を吊るという古いほうが選ばれています。ここでも向きは同じでした。

音楽は久石譲です。映画で覚えのない曲も、舞台の音として違和感なく鳴っていました。耳に残る編曲だと感じたあとで、久石譲その人の手によるものだと知りました。

型が追いつく

しばらく歌舞伎から遠ざかっていました。久しぶりに坐ると、変わっているものがいくつもあります。

中村時蔵のエボシ御前は、采配を振る側の女です。2024年6月に六代目を襲名したばかりの女方で、古風で端正な芸の人が、ここでは声にも姿にも揺れを見せません。

市川中車の乙事主は二幕に出てきます。犬と猪がぶつかる場の、あの押しの強さ。感情の乗せ方も、振りの自然さも、歌舞伎の外で鍛えられたもののように見えます。それが型の上に乗ると、ほかの誰とも違う空気になる。演技に型が追いついた、という言い方がいちばん近いように思います。

襲名があり、女方が走る。離れているあいだに、舞台の側は動き続けていました。

幕が下りてからの話

まずは、サンの話から。

あの穴から上がってきたのはサンでした。顔には古い神の面。一度だけ面を外し、また戻して、槍を手にしたまま踊りのような立ち回りが続きます。台詞は一言もありません。エボシ御前の首を取りに行く場面です。そして飛び六方で引っ込みます。タタラ場で跳ね回っていたのと同じ足が、今度は花道を踏み鳴らしていきます。

山犬たちも、乙事主も、同じ穴から出てきました。

モロと乙事主がぶつかる場では、それぞれが手に獣の頭を持って舞います。山犬と猪の頭に長い布をつけたもので、連獅子の前半に出てくる手獅子と同じ拵えです。押し合う立ち回りのなかに、獣の稚さのようなものが混じっていました。

次に、幕の話です。

あの森の幕は、最後まで一度も替わりません。替わるのは光のほうです。

一幕のうちに、鬱蒼としていた木立が荒れ果てた山になります。同じ布のはずだと気づいたときには、もう次の色に移っていました。終盤、そこにもう一度光が当たります。荒れた色から、みずみずしい緑へ。一気に切り替わるのではなく、端のほうから染みるように戻っていきます。

同じ場面でシシ神の宙乗りが始まるので、上を追うか幕を追うかで迷いました。

そして、大きな手の話です。

ディダラボッチの手が、実物で出てきます。作り物の巨大な手が、客席のほうへ伸びてくる。棒で操っているはずなのですが、操る人は舞台上の群衆に紛れていて見えません。体のほうは映像で、そこに実物の手が生えている形になります。

舞台で巨大なものを出すと、たいてい二つのことが起きます。作り物に見えることと、殺陣が遅くなることです。ここではどちらも起きません。大きいものは遅く動いても不自然になりませんし、誰もその手に斬りかかりませんから、速度差の出る場面がそもそも作られていない。

2.5次元の舞台では、巨大な敵を映像で出す時期があり、そのあと実物と戦う演出が増えました。今回はそのどちらでもない答えでした。

どんな方に向くか

映画を繰り返し観た方には、筋を追う楽しみよりも、置き換えの手つきを見る時間になります。歌舞伎を観てきた方なら、知っている型がどこに嵌め込まれているかを探すことになります。

歌舞伎を観たことがない方でも、予備知識なしで筋は追えます。分からない言葉はほとんど出てきません。

玄関に赤札が出るほど賑わっていた公演も、劇場で観る機会はもう終わりました。券が取れなかった方にも、まだ手は残っています。

観る手段

配信で観る

この舞台を映像で観られるのは、千穐楽の配信アーカイブだけです。松竹からは、上演翌月の歌舞伎オンデマンドでの配信は予定していないと案内が出ています。視聴は9月6日23時59分まで、チケットの販売は同日20時まで。

  • 8月23日16時開演の回の生配信です。上演時間は約3時間40分、途中に休憩が入ります
  • 期間中は何度でも観られます
  • 本編のみ4,800円、特典映像付き5,500円。特典は、およそ半年の稽古と仕込みを追ったドキュメンタリーです
  • 配信先は歌舞伎オンデマンド、イープラス Streaming+、楽天TV、Hulu

仕掛けの話は、この記事の後半に畳んであります。開かないままなら、9月6日までは、初めて観る側でいられます。

新橋演舞場の案内は、松竹の公式サイトで確認できます。

おわりに

毛振りの毛が、森の神の頭に乗る。あの穴からは、人ならざるものが出てくる。どれも見覚えのある型でしたが、森の神や獣に入っても、そのまま働いていました。

映画を先に知っている方が、この舞台から型をひとつ持って帰る。次にどこかで毛を振る獅子に出会ったとき、森のほうを思い出すことになります。

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