「民」とは何か――剣劇「三國志演技〜蜀漢」

桃の花枝 観劇

剣劇「三國志演技」は、2024年の「孫呉」、2025年の「曹魏」と続いてきました。今年の「蜀漢」で三国が揃い、これで完結です。最後の一国を、9月の上旬に明治座で観てきました。

東京公演は9月10日まで続いています。結末に触れる話は後半に畳んであります。

上演の記録

一幕は、長い自己紹介です

赤壁から定軍山まで、208年から219年までの11年が一幕に収まります。しかもその全体が、人の集まっている場からの回想という形です。

回想ですから、小さな挿話が次々に落ちてきます。前作では一人の武将として立っていた夏侯淵も、ここでは一場面で斬られて終わりました。一つ一つは面白いのですが、束ねる線の見えないまま数だけが続きます。私は途中で集中が切れました。

長い自己紹介だと思って受け取れる方なら、95分は保ちます。筋の運びで引っぱってほしい方は、幕間までに一度飽きるかもしれません。

殺陣が、気持ちのやり取りになる

長沙の戦いで、黄忠ははじめ敵方にいます。関羽はこの相手を老いぼれと侮り、諸葛亮に侮るなと言われても聞き流していました。

斬り結んでも決着はつきません。黄忠が弓を引きます。放った矢は関羽の兜の上のあたりに当たり、何かが飛びました。何が飛んだのかまでは見て取れません。演義では、この矢は兜の房を射抜きます。射殺せる間合いで、飾りだけを落とした一射です。

戦いのあと、劉備が膝をついて、軍に加わるよう黄忠に乞います。関羽も膝をつきました。老いぼれと侮ったことを詫びよと劉備に促されてのことで、自分から折れたのではありません。早乙女友貴さんの関羽は、この頑固さと、時折のぞく幼さの釣り合いが見事です。

馬超が現れる場面は、様子が違います。殺気はないのに、劣勢の最中にあった劉備の軍は張り詰めていました。受けて立ったのは張飛です。打ち合っているうちに月が出ました。1日、戦っていたことになります。

その張飛が、諸葛亮の止めに入るとあっさり矛を収めました。関羽が膝をつくまでの手数を思えば、同じ兄弟でも収まり方がまるで違います。

説得は二段です。ここにいても復讐は果たせない、と諸葛亮が説く。そのうえで劉備が、その復讐心ごと引き受けると言って迎えました。

「民」とは何か

劉備が問いを出します。上に立つ者にとって、民とは何か。

銭、と答えた男がいました。劉備はそりが合わないと言って、この男を退けます。退けられた男は食い下がり、ならばあなたは何と答えるのかと問い返しました。劉備が、それは、と言いかけたところで暗転です。

答えは客席に届きません。暗くなる寸前に劉備の口が動いたようにも見えましたが、何と言ったのかは終幕まで明かされないままです。

のちの別の場面で、諸葛亮が同じ問いに、水、と答えて迎えられます。2つの答えは離れた場所に置かれたきり、舞台の上で並ぶことはありません。並べるのは客のほうです。

3人の声

劉備の前に、影が3人現れます。左慈、于吉、南華老仙。3人は劉備に、漢中王となること、そして5つの星が落ちたとき、緑の森が赤く染まることを告げました。

声の充て方に趣向があります。左慈は福澤侑さん。演義で左慈が術をもって翻弄する相手は曹操で、その曹操を演じているのが福澤さんです。于吉は梅津瑞樹さん。于吉を斬り、その祟りに苦しんで死ぬのが孫策で、孫策を演じているのが梅津さんです。仙人と、その仙人に憑かれる男を、同じ声が受け持っています。

はじめの一声

松田凌さんの最初の一声が、松田凌さんに聞こえませんでした。

腹の奥から、喉を開けて出てくるような低い声です。私が憶えていたのは少年の役でした。場内では、似た発声をする別の出演者だと思い込んでいたほどです。

顔の右半分が爛れています。特殊造形が当ててあり、そのぶん表情は読み取りにくくなっていました。

一人で二役をどう見せるか

この芝居は兼ね役が多く、荒牧慶彦さんは周瑜と諸葛亮の両方を持っています。二人が同じ場に出る赤壁のくだりでは、面を用いて並べていました。本人が周瑜を勤め、諸葛亮は面をつけた替わりの方が立ち、声は録音です。

大喬・小喬も映像で少しだけ登場しました。荒牧さんが大喬、梅津さんが小喬。互い違いに渡してあるので、それぞれの夫の側と組み合わさります。

役の印を身につけるという点では、趙雲の左腕にも一つあります。阿斗の名を記した腕章です。長坂で子を懐に抱いた側の腕でした。ある場面で光るのではなく、幕が開いてから終わりまでずっとそこにあります。

二幕から、一つの未来へ動き出す

幕間を挟むと、芝居の顔が変わります。一幕で散らばって見えていた無数の挿話は、実のところ幕が下りた時点で既に集まりきっていました。二幕は、集まったものが行き先を得るところから始まります。

その行き先は蜀漢の内側にはありません。この最終章がなぜ「蜀漢」と題されながら、蜀漢の外にいる男の話として閉じるのか。そこがこの上演の背骨でした。

扇を渡されます

本編が終わると、第二部「特別御前試合」です。25分の殺陣ショーで、誰かの夢という体裁を取っています。敵味方の隔てはなくなり、本編では起こりえない取り合わせが並びました。馬超と、かつての腹心である龐徳。呂布と、手合わせを望んでいた趙雲。

ここで、入場のときに渡された扇が要ります。戦張扇という名で、絵柄は回替わりです。武将ごとの絵柄が日によって替わりますから、その日に居合わせた客は皆、同じ武将の扇を持っていることになります。

前説があり、どこで鳴らすかも説明されます。声を出すこともできます。段取りは全部その場で教わりますから、初めてでも困ることはありません。

以下、結末に触れる感想は畳んでおきます。

幕が下りてからの話

まずは、鼠の話から。

張飛には、可愛がっている鼠がいます。名をちゅーひ。演義にも正史にも、この名は見当たりません。

関羽を失って酒に溺れていた張飛が、心を入れ替えようとする。そこへ毒が仕込まれます。豆に毒があることに気づいたのは鼠で、張飛は豆を残して酒だけを飲みました。酒のほうにも入っていたわけです。

やがて張飛はある男に滅多刺しにされ、部下に討たれたことにされます。そこへ鼠が、豆を咥えて人々の前へ出てきました。皆の見ている前で豆を食べ、死んでみせます。毒であったこと、下手人が部下ではなかったこと。口をきけない鼠が、そうやって証したのでした。

滅多刺しの狂気と、身を差し出す鼠が、同じ幕の中に置かれています。剣劇の振れ幅はここに出ていました。

そして、司馬懿の話です。

銭、と答えた男です。

もとを陳宮といいます。劉備に仕えたいと願い、拒まれた。ただそれだけの理由で名を捨て、司馬懿として曹魏に入りました。一幕のはじめに聞いた低い声は、この男のものです。

やり口が、答えのとおりでした。劉備が部下を喪って慟哭するのを見て、この男は思いつきます。五虎将を一人ずつ削っていけば、劉備はそのたびに泣き崩れる。泣かせることで、自分の考えを認めさせようというのです。

一幕で関羽が諸葛亮の言葉を聞き流していたことが、ここで効いてきます。策を容れず、自らの水攻めで臨んだ関羽は、現に勝って龐徳を斬りました。崩れたのは別の方向からです。孫呉に背かれ、荊州を失って捕らえられます。詮議の途中で、場に紛れ込んでいた男が、何気ない顔で刺すのです。

諸葛亮がどこまで孫呉の動きを読んでいたのかは、舞台では明かされません。

張飛は先に書いた毒。ここで劉備は、関羽の弔いを掲げて出ていきます。負けると分かっている戦でした。諸葛亮は止めます。曹操を討つ大義か、義兄弟の敵討ちか。劉備は敵討ちを選びました。馬超の復讐心を背負うと言った男が、ここでは自分の私怨を背負います。

情を選んだ者が国を失い、情を捨てた者が国を得る。蜀漢の瓦解は、この一点で決まっています。

馬超は死病を得ていました。それでも倒れたのは、病によってではなく戦ってです。黒幕を道連れにできるならそれでいい。そう言い置いて趙雲と諸葛亮を先へやり、一人で残りました。

かつて一家の仇として曹操に牙を剥いたとき、この人はあと一歩のところで届いていません。今度も届きませんでした。3人目です。

趙雲は崖から落とされて4人目。黄忠は劉備を矢から庇って5人目。大弓の名手が、矢に当たって死ぬのです。

5つの星が落ちました。黄忠が倒れたあと、森が燃えます。孫呉の陸遜による火計でした。緑の森が赤く染まる。

一人ずつ削るという企ては、星を一つずつ落とす作業でもあったわけです。人を数えて値打ちを量る手つきが、そのまま終わりまでの数え上げになっている。銭、という答えから、ここまで一本で繋がっていました。

殺陣ではないところで、いちばん緊迫したのは軍師どうしの応酬です。趙雲が崖から落ちたあと、司馬懿が諸葛亮の策を愚策だと責め立てます。自分ならこうした、と言い募る。諸葛亮は、あれは義の王たる劉備の心を汲んだ策だと返し、そしてお前もそこに惹かれたのだろう、と言い当てました。司馬懿は、黙れ、と怒鳴るほかありません。

早口の長台詞が斬り結ぶように行き交います。得物が言葉であるだけで、これも立ち回りでした。

殺陣で目を引いたのは、呂布でした。死ぬ前に呂布は陳宮に、劉備を自分に殺させるのではなく自分の手で殺せ、というようなことを言い残します。その言葉が陳宮つまり司馬懿の内に残り、以後は呂布を連れて戦うようになる。憑いているのではなく、この男にだけ見えているのだと読みました。

斜め後ろの、触れそうなほど近いところに呂布が立つ。同じ仕草をする。力の要るところでは前へ出て槍を振る。二人で槍を渡し合う。松田凌さんと武子直輝さんが、影と本体のように組んでいました。

絶体絶命のところへ、諸葛亮の策で生き延びていた趙雲が駆け込みます。逃げ延びた劉備は、しかし病を得て床につきました。

魏の曹仁との話の途中で、司馬懿は思いつきます。天下を統一すれば、認められる。

その直後に、筋から離れた場面が置かれました。縦に細く区切った明かりが射しています。両開きの扉がわずかに開いて、そこから漏れているような光です。この芝居で繰り返し使われる形でした。

奥からこちらへ、司馬懿が歩いてきます。手前から奥へ、劉備が歩いていきます。司馬懿の顔には、思いつきを喜ぶ、邪悪と言ってよい笑いが浮かんでいました。

中ほどですれ違ったあたりから、その笑いが少しずつ消えていきます。手前まで来たときには真顔でした。振り返って、遠ざかる劉備を見送ります。それから、ふと右斜め前へ目をやりました。

顔の右の爛れは、親からの折檻の痕でした。表情は読み取りにくい。それでも、美しい横顔です。

親を喪い、折檻から救い出されたときのことを思い出していたのかもしれません。

死の床で、諸葛亮が言います。そういえば、まだ聞いていませんでした。あなたならきっと、こう答えるでしょう。宝、と。劉備もその通りだと答えます。

一幕の暗転で伏せられた答えが、ここで返ってきます。銭と答えた男は退けられ、水と答えた男が迎えられ、問うた当人は宝と答える。3つの答えが揃うのは、最後のこの一言です。

あの暗転のとき、陳宮もこれを聞いていたのではないかと私は見ています。聞いてしまったからこそ、認めさせるという一点に憑かれたのではないか。舞台の上で説明はされません。

最後は桃園です。

上手の端に床があり、諸葛亮と趙雲が坐って嘆いている。ここは盆の外です。軽い暗転のあいだに盆が回り、上から桃が下りてきて、明かりは舞台全体を照らすものに変わりました。死んだ武将たちの揃っているところへ、劉備が起き上がる。二人に呼びかけようとした劉備に、関羽が言うのです。兄者、あの二人にはもう聞こえない。

嘆く二人は、賑やかな武将たちの間をゆっくり通って退場していきました。すぐそこにいる者たちに、まったく気づかない様子で。

生者と死者を、照明で塗り分けてはいません。分けているのは盆の内と外です。同じ明るさの中に、届かない二つの場所が並んでいました。

先に口を開いたのは諸葛亮でした。床のあった上手から下手へ、喋りながら歩いて、花道の前まで。司馬懿は舞台の奥、中央から出てきます。諸葛亮が歩き出すのと入れ替わりに、床も、岩に見えた道具も、宙へ引き上げられていきました。残るのは盆の上の大階段だけです。

諸葛亮が言います。我が王のために蜀を守る、と。関羽の弔いに発つ前、劉備が遺していった言葉でもありました。

それに応じるように、いちばん奥から司馬懿が言います。我が王に認められるために、天下をまとめる、と。

天下を取るために認めさせるのではありません。認められるために天下を取るのです。

この男は、劉備に面と向かって王と呼ぶことができませんでした。呼べたのは相手が死んだあと、舞台の反対の端に立ち、しかも別の男の言葉に重ねる形でだけです。魏にも呉にも興味はないと言い切っていた男の王は、はじめから一人しかいませんでした。

あの邪悪な笑いは、もう浮かびません。前作の曹操は、親友の袁紹を喪ったあと、覇王として進む顔になりました。同じ位置で、この男の顔は逆へ動きます。

顔を合わせないまま、それぞれの宣言だけが残ります。桃園の温かさで閉じるのではなく、まだ終わっていないという声で、この部は終わりました。

第二部について、一つだけここに畳んでおきます。

御前試合の最後は、劉備と司馬懿が組んで、居合わせた全員を相手取ります。斬り終えた司馬懿は、劉備と組めてよかったというようなことを言いました。どこか憑き物の落ちたような顔です。

仕えたいと願って拒まれた男が、夢の中でだけ隣に立てた。ショーの体裁を借りて、この芝居はいちばん痛いところへ手を伸ばしていました。

観る手段

  • 東京公演は9月10日(木)まで、明治座
  • 毎公演、当日券の販売がある。ぴあの当日引換券も出ている
  • 9月10日の13時公演と18時の千穐楽公演が、シアターコンプレックスTOWNでLIVE配信される
  • Blu-ray発売決定(8月29日発表)。先行予約期間中は選べるパールカードの特典付き
  • 前二作「孫呉」「曹魏」のBlu-rayは既発

剣劇「三國志演技〜蜀漢」公式サイト

明治座オンラインチケット

おわりに

公式は開幕にあたって、このシリーズにシェイクスピアの要素を織り交ぜていると明かしています。孫呉はハムレット、曹魏はロミオとジュリエット。蜀漢は伏せられたままで、この記事を書いている時点でも答えは出ていません。

伏せられた答えが返ってくるまで待たされる芝居を、看板からしてやっているわけです。

3年かけて三国を並べ終えました。これから追いつかれる方は、孫呉から順に御覧になるのがよいと思います。最後の一国は、そこまで観てきた方に向けて作られていました。

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