煤けた木馬が3頭 ― unrato『夢去りて、オルフェ』

壊れた木馬 観劇

公演情報

東京芸術劇場の外観

作者は、高校演劇でよく上演される『楽屋』を書いた人です。この芝居は1988年の再演を最後に上演が途絶えていました。およそ40年ぶりということになります。

今回、桂木一機を演じる大石継太は、20代のときにその初演を紀伊國屋ホールで観ており、舞台の上にあった木馬が今も頭に残っている、と語っています。40年近く上演のなかった芝居で、その人が焼跡の真ん中に立ちます。

お目当ては小桜鉄平を演じる佐奈宏紀でした。ですので以下の文章は、いくらかそちらへ傾いています。先に申し上げておきます。

結末には触れません。触れる部分は途中で畳んであります。

その3つは、どうにか助けた

幕が上がると、焼跡です。

昭和14年、北陸の酔ヶ浜。かつて遊園地があった場所で、昭和10年の大火のあと、そのまま放置されています。舞台の上に木馬が3頭。1頭は回転木馬の上に残り、1頭は下手の中ほどで台から落ちたまま半ば埋もれ、もう1頭は上手の奥にいます。いずれも煤けています。

主人公の桂木一機は、この町の中学で国語を教えています。北一輝を信奉しており、二・二六事件に連座して北一輝が処刑されたあとも、その死を認めていません。

その一機が、血の繋がらない妹のぎんを東京から呼び戻します。用件は姦通の噂です。相手とされているのは小桜夢野という若い女で、夫は陸軍の大尉、結婚して3か月で満州へ発ったまま帰っていません。

呼び戻したぎんと二人になったところで、一機が木馬について言います。その3つは、どうにか助けた、と。

火事から助け出したものが3頭。処刑された思想家は、まだ生きていることになっています。この人はずっと、何かを助けたと言い続けています。

鳴らない、ぽっぺん

一機の台詞は、とにかく止まりません。装飾のたっぷりついた長い言葉を、立て板に水で喋っていきます。

その喋り方が何なのかは、ぽっぺんの場面で分かります。

ぽっぺんはビードロとも呼ばれる硝子の玩具で、息を吹き込むと底が鳴ります。一機がこれを持っているのは、北一輝の幻想に会い、去ったあとに置いてあったからだそうです。

一機はそれを鳴らそうとします。鳴りません。それでいて、その音を語る言葉のほうは滑らかに出てきます。深い雪の底から聞こえてくる春の湧水のようだ、と言うのです。

さんざん苦労して、ようやく鳴らします。そこへぎんが出てきて、貸して、と言う。口元を拭きもせずにくわえて、いとも簡単に鳴らしてしまいます。

湧水だろうか、と思いながら見ておりました。

一機が自己の世界にしかいないことが、この短いやりとりに全部入っています。

台詞の意味を一つ一つ確かめながら観ようとすると、少し骨が折れます。言葉の流れに乗ってしまったほうが、この芝居は楽に入ってきます。

嘘が、次々に

姦通の疑いを何とかしてほしい。それが、ぎんを呼び戻した用件でした。

そこから嘘が出ます。一つでは済みません。次から次へと、そのつど形を変えて出てきます。なかには、中原源三という巡査部長とぎんが結婚するという話もあって、これは源三のほうが本気にしてしまいました。

嘘が嘘のままでいてくれないのです。誰かが真に受けた時点で、その人にとっては起きたことになる。

本当のことのほうは、そうなりません。一機は、あの火を自分でつけたのだとぎんに打ち明けます。ぎんは察していたように見えました。それきりです。話は二人のあいだで終わり、誰にも伝わらず、筋も動きません。

助けたと言い続けている人が、助けるものを自分で燃やしていた。次々と渡っていく嘘の中に、それがこっそり紛れ込んでいます。

顔と、食べ方

もう一人の主役、桂木ぎんを朝海ひかるが演じています。東京で大部屋女優をしていた妹という役どころです。

この人の顔が、場面ごとに変わります。東京帰りの垢抜けた女優の顔があり、兄と二人になると揃って子供に戻る顔がある。二幕頭の過去の場面では女学生の顔で出てきて、その中でさらに学芸会の役を演じてみせます。芝居をしていない顔、芝居をしている顔、芝居の中でまた芝居をしている顔。落差がそのまま人物の厚みになっていました。

対になる台詞が一つあります。

噂の相手、小桜夢野を演じるのが平体まひろです。どことなくふわふわした佇まいの人です。初登場で、死ぬ覚悟はできている、と言う。佇まいに似合わない、必死な言い方でした。一幕の終わり近くで、死んでしまいたい、ともう一度口にします。こちらは疲れている。現実のほうを見てしまった声でした。

それを受けるように、ぎんの台詞があります。私はそういうことを言うタイプの女優じゃない、と。自分の生き方を、役柄の型で説明する人なのです。嘘と芝居の話をしている芝居の中で、この人の現実感は一つ頭を抜けています。

夢野が一機を好きな理由として挙げるのが、食べ方です。桂木先生のごはんの食べ方が好きだ、と言う。夫のほうは、食べ方が気持ち悪い。それだけです。ぎんを相手に、夢のようなごはんの食べ方だ、とまで言います。

時代がどちらへ傾いていくかを誰もが知っている年に、女が命を賭ける理由が、食べ方です。理屈が一切ないぶん、人物がまっすぐ立ちます。

正面から訊いた人

ここからは相性の話です。

一機は、大尉夫人にも妹にも好かれています。私はその一点で躓いたまま、先へ進んでしまいました。引っかかりが作品の側にあるのか、私の側にあるのかは分かりません。幻を手放さない人が、向けられているものだけは拒まずにいる。

躓いたまま観ていると、目のほうが勝手に動きます。私の場合は鉄平でした。

小桜鉄平を演じるのが佐奈宏紀です。夢野の夫の弟ですから、夢野は義理の姉にあたります。

第一声から声が大きい人です。ただ、義姉を「ねえさん」と呼ぶときだけ、その声にわずかな切なさが混じります。同じ声が、一機に向かうとまっすぐ糾弾する声になる。義姉と兄との噂を問い質し、一機がはぐらかすと、そのまま軍刀を抜きます。言葉で押し切れなくなると刀が出る人なのだと、ここで分かります。

一機と二人だけになる場面では、その若さがよく出ます。はじめは、義姉への思慕を見透かされてうろたえる。年若い人のうろたえ方です。のちの場面では逆に、なぜはぐらかすばかりで本当のことを言わないのか、と一機に問い詰める。

軍人の役どころですから、身振りは大きく使えません。背筋を伸ばしたまま、動くのは瞳だけです。冷静を装い、義姉への思慕が滲み、見透かされた悔しさがそのまま怒りに変わる。

そこで初めて、一機が答えます。言ってしまえば自分が救われてしまうから、言わない、と。姦通していないと一言そう言えば済む場面でした。

喋り続けて何も言わない男と、言葉を飾らない若い軍人。この若者を見透かすのに手間もかかりません。それでいて、本音をひとつ引き出したのは、正面から訊いた後者のほうでした。

シアターウエストの入口(東京芸術劇場にて)

シアターウエストは舞台の組み方で席数が変わりますが、多いときでも300には届きません。一機と鉄平が向き合う場面では、生の声の圧で空気が震えます。劇中には煙草を吸う場面もあって、煙がそのまま客席へ流れてきます。生の声と煙まで届く距離が、この劇場の大きな魅力です。

以下、結末に触れる感想は畳んでおきます。

幕が下りてからの話

まずは、鉄平と夢野の話から。

夢野は一幕の最後にふっと消え、二幕の頭に、飛び降りた先で無傷で見つかります。何が彼女にそうさせたかは表現されませんでしたが、助かったあともごちゃごちゃ言うので葡萄酒を飲ませて潰した、とはぎんの言葉。

鉄平が軍刀を抜くのは、最後の皆が集まった場が二度目です。それまでは下手の夢野の後ろにいました。夢野が酔っているのも、一機の言葉にひどく動じているのも、その位置から見ている。見かねたのか、別の何かが切れたのか、判じかねる出方でした。急に走り出ます。斬りかかって返り討ちに遭ったようにも、自分から刃へ向かったようにも見えました。それを見た夢野が気を失う。遺体は同僚の軍人が引きずり、夢野は妹夫妻が抱えて、それぞれ運ばれていきました。

一機は二幕で、ぎんを相手に、若い二人を死なせたくないという意味のことを口にしていました。鉄平と夢野のことです。守りたいと言った二人は、どちらも一機の目の前で倒れました。一人は刃のもとへ、もう一人は救えたはずの場所で救われないまま運び出されます。

そして、一機とぎんの話です。

鉄平を斬った直後、源三が巡査部長として言います。刀を渡せ、正当防衛になる可能性がある、と。一機は渡しません。俺が殺した、と言います。ぎんが説得して、ようやく手を離しました。

この源三という人は、一機の旧友で、学生のころからぎんに想いを寄せています。そして作中では、ぎんが東京へ出たころに、一機へ北一輝とぎんについての作り話を吹き込んでいたことも明かされます。刀を渡せと言ったのは、そういう人です。

一機のほうは、救われる道を差し出されて断る人です。鉄平に問い詰められて、言えば救われてしまうから言わない、と答えた場面がありました。二度とも同じ形です。助けたと言い張り続けて、助けられることは拒む。

幕切れは、回転木馬が回り出します。ピエロのパレードが通るなか、3度繰り返し歌えと名付けられたスイングジャズが流れ、一機とぎんが回転木馬に乗って、夢のような場所で踊る。

照明が明滅して、光が戻ると、一機が腹部を刺されて倒れています。ぎんがそれを見下ろして立っている。取り乱しもせず、表情もありません。一つ頭を抜けていたはずの現実感が、ここで裏返ります。

凶器は短刀でした。一機の手はその短刀に添えられていました。防いだ手なのか、自ら刺した手なのか、舞台は決めていません。

焼跡に現実の側の人はいなかったことになります。

題名のオルフェは、死者を連れ戻そうとして、振り返るなという禁を破って失う男の話です。神話では最後に女たちの手にかかって死にます。

冥界にあたるのがこの焼跡で、連れ戻そうとした死者が北一輝である、という読み方ができます。もう一つ、一機が電報でぎんを呼び戻したこと自体が振り返りだった、という読み方もできる。東京にいた妹を故郷へ引き戻し、二幕の頭で過去の場面が始まり、最後に自分を見下ろして立っているのが、呼び戻した当人です。

どちらの読み方をしても、最後に立っているのはぎんです。

記録

  • 音楽:三枝伸太郎 美術:石原敬 照明:大島祐夫 音響:早川毅 衣裳:小林巨和 振付:前田清実 擬闘:加藤学
  • 音楽は録音。生演奏はありません
  • 舞台美術:焼けた遊園地。回転木馬1基と木馬3頭。すべて煤けています
  • 劇中、チェーホフ『三人姉妹』の台詞が引かれる場面があります

初演は1986年12月、紀伊國屋ホール。木冬社結成10周年と紀伊國屋書店創業60周年の記念提携公演でした。松本典子が『タンゴ・冬の終わりに』とこの作品で、1987年の芸術選奨文部大臣賞を受けています。

こんな方に

台詞を一つずつ確かめながら観たい方には、少し骨が折れます。長い言葉の連なりに身をあずけて、流れのまま2時間半を過ごせる方には向いています。出来事が次々に起きて筋が進んでいく芝居ではありません。同じ話が形を変えて何度も出てくる、その繰り返しのほうを面白がれるかどうかで分かれます。

席が300に届かない小屋ですので、声も煙も客席まで届きます。大きな劇場に通い慣れた方ほど、この距離は新しく感じられるはずです。

観る手段

次にこの芝居がかかるのがいつになるかは分かりません。

当日券は開演の45分前から劇場の窓口で扱っています。現金のみで、その回に出るかどうかは公式のXで告知されます。前日の23時59分までなら、プレイガイドで当日引換券も出ています。残席の状況はunratoの公式サイトで確認できます。

戯曲は『清水邦夫全仕事1981〜1991 下』(河出書房新社)に収められています。図書館で読める方は、こちらも。

なお劇中に喫煙の場面があります。舞台用の煙草ですが、煙ははっきり出ますので、気になる方は受付でその旨を伝えられるそうです。

おわりに

題名の夢が誰のものなのかは、一人に決まりません。

一機にとっては北一輝でしょうし、夢野とぎんにとっては一機です。鉄平にとっては夢野で、源三にとってはぎんです。舞台にいる人がそれぞれ違う夢を勘定に入れていて、幕が下りるころには、どれも手元に残っていません。焼けた遊園地というのは、最初からそういう場所でした。

残っているのは煤けた木馬が3頭です。上演は8月30日まで。あと何日か、あの木馬には別の日の観客が向き合うことになります。

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